|10年06月3日 |中島 |
2日、人権岡山副代表の前田秀明さんの告別式。11時に会場について、受付、全体の進行などの打ち合わせの会議に。娘さんが全体を説明、奥さんがゆっくりした口調でその場を和ませる、そんな雰囲気。
当方も、地域人権運動をすすめている仲間を代表して、お別れのことば。声が詰まります。これではいけない、はやくすすめないと、などと頭を回転させると、ピッチだけは上がりますが・・・。言いたかったのは、移住してきてその地域を主舞台として活動を進める上で二人は共通点があったこと。だからこそ、地元での活動が真価を問われるのではという自らに対する戒めも含めたもの。後の小林先生が、補ってくれたようで、ホッとしたのです。
夕方から、かるがも会議。常勤職員の方3人、そして、ななくさのケアマネ池田さんと合わせて5人。約3時間、利用者の方の動向の把握、ホーム運営上の規程などの確認、職員間の連携、などの意思統一を図るための会議でした。途中一服して外に出た時に見上げた夕日が雲に輝いて、これが茜色、かと思うような、きれいな空でした。
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|10年06月2日 |中島 |
6月1日、朝早く事務所に。「お別れのことば」のことで準備に。途中、明石さん来館。78歳にして、研究集会の要員を2日間もやってくださって感謝。分科会も含めて、感想を聞かせてもらいました。当方が診察に行ったこと、気にかけてくれていました。その後、三戸さん来館。この方も要員で2日間奮闘。当方と同じ分科会に出てくれていて、その感想も。2日の前田さんの告別式に参加できないのでお供えを預かりました。その時に立花先生のことが話題に。
2階の国民救援会事務所を覘くと、竹原さん、小林さんがおられる。立花一也先生の偲ぶ会のことで相談を持ちかけてみました。11月1日が1周年になるから、時期を逆算するとそろそろ準備に入らないといけないのでは、と。竹原さんが連絡してみようということになりました。この時、やはり、研究集会の分科会で小畑実行委員長の内容が大変よかった、という話に。
電話で、小畑先生、フリーダムのみなさんに早速お礼の電話を入れました。小畑先生からは、1日目のあと、ゆっくり話が出来たことが大変役に立った、と。
午後から、事務局会議。前田さんの告別式にかかわる件が中心。全国研究集会の片づけはちょっと猶予をいただこう、ということに。
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|10年06月1日 |中島 |
5月31日、予約していた小旅行をキャンセル。朝早く、岡山協立病院へ。1週間ほど前から下腹部に痛みが続いていたのが気になって診察を受けました。泌尿器科に行くのは初めて。尿検査と問診、そして下半身そのものの触診、前立腺血液検査、そしてもう一度触診。最後の触診は、肛門に指が入ってくるのですが、医師も難儀な様子、口をあけて力を抜いて、という指示でやっと遂行。がくっとします。痛みの原因は精巣上垂体の異常、いまはもとに戻りつつある状況、との診断。とりあえずホッとしました。
この病院で、かるがもの朝本さんが利用者のFさんのリハリビに付き添ってくるのにバッタリ。
11時過ぎに事務所にもどり、前田さんの告別式の案内など。民主会館内には、全国研究集会の御礼と訃報の連絡を。午後3時には、人権岡山のメンバーと告別式の件で打ち合わせ。
6時過ぎに自宅にもどり、旅行の変わりにせめて夕食を外でということに。餃子が食べたくて、結局、王将という結果に。6月からの仕事が頭をよぎりながら、生ビール2杯だけいただきました。自宅に戻ってからも、告別式の件でいくつかの連絡が続きました。
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