自筆年譜
|25年01月15日 |中島 |
14日、火曜日。朝風呂で身支度、新事務所へ。
雑務。みんなの家ななくさの住宅さん、来所。この日は新春の集い、恒例の獅子舞は腰痛で私はできないかも、と。
この日は病院と赤磐市のNPO法人の運営する本屋さんへはしります。そこで手にした岩波文庫、谷川俊太郎選の『永瀬清子詩』。その中の自筆年譜には、1953年、月の輪古墳の発掘がはじまり次女奈緒もこれに加わり、私も時々現地を訪れた。私は依頼され『月の輪音頭』の歌詞をつくり・・・、と書かれています。1955年には、印度ニューデリーでアジア諸国会議がありそれに出席することになった。・・中国の郭沫若氏に招かれて中国に入った。帰国後はすぐに田植えにかかったが引き続いて第1回日本母親大会、第1回原水爆禁止大会など、アジア大会とほぼ一連の行事があった。あわただしい年であった。と書かれています。
1955年4月18日、インドネシアのバンドンで開催された第1回アジア・アフリカ会議とどう関連しているのか、とふと思ったり。憲法学者の故長谷川正安さんと一緒に行かれたというかすかな記憶が残っています。永瀬清子さんは1994年当時に「憲法をまもり、いまこそ部落問題解決を」の300万人アピール署名の呼びかけ人にもなってくださった方。その思想形成に関心も少し。
食料を買ってきて、新事務所に帰ります。母親に食料を届けます。
夕方、ズームで会議に参加。倉敷市議選挙の状況など聞かせてもらいます。
8時半ころ帰宅。ちょっと遅い夕食でした。
記事分類 NPO人権みんなの会記録 | コメント 0 »