50年前、38年前
|23年11月6日 |中島 |
5日、日曜日。5時前起床。朝風呂で身支度。寝転んで新聞をゆっくりと。
新事務所へ。雑務。みんなの家ななくさの住宅さん、来所。火曜日開催のNPO法人地域人権みんなの会の理事会について話し合います。
前日から連絡が続いていたAさん、来所。1970年代の大学部落問題研究会の仲間のおひとり。『映画・福田村事件』についての感想を出しあい、最近の部落問題解決に関連した動向なども話し合います。
冷凍庫のご飯をレンジで温め、鍋でお粥さんに。卵焼きと塩昆布で質素な昼ご飯です。
午後、『地域と人権・岡山版』11月号の記事とコラム、あれこれ思案しながら書き上げ、メールで民主会館へ送信です。途中、大野辻のコープに走り、駅弁なども買って母親に届けます。
新事務所に帰り、翌日の法人事務局会議のレジメも再確認。岡山空港で自衛隊の戦闘機と輸送機がきて実動演習する問題、翌日に県庁に出かけて話し合いがあります。その内容も。火曜日の理事会資料、頭の中で整理して翌日に準備できるように。
7時過ぎ、帰宅。日本シリーズ、阪神優勝。岡田監督の胴上げまで見届けます。Eさんからうれしいというライン。38年前、鳴門まで夜釣りに行っていたとき、ラジオを聞いていた人が阪神打線が三連発、と大きな声で伝えてくれたこと思い出します。バース、掛布、岡田のクリーナップです。こちらはまだ30歳代の真ん中だったんだ、と。
記事分類 NPO人権みんなの会記録 | コメント 0 »