|09年06月5日 |中島 |
4日、朝一番、夜勤明けのななくさ事務長が来館。最近の利用者の方の介護に関わる課題などを聞かせてもらう。
社会保険事務所に出向いて、扶養異動届の提出。今回でクリアーか。車で連れてぃってくれたY君と帰りにラーメンを。岡山ラーメン学会のSさんの評談を寄せている。しかし、当方には重たすぎるのか、夕方まで腹に残ったようで、胃薬を飲む。
夕方、5時30分から、ななくさ打ち合わせ会議。来月から金ちゃんの参加も確認。新たな事業所、対象は3か所ある。まず要望されているところへ説明会に行くことに。ボランティアの方々に参加してもらえるとりくみや、職員への6月賞与なども論議。もうそんな時期、早いものです。
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|09年06月4日 |中島 |
3日、7時台ののぞみに乗って、名古屋。そこから名鉄線。行く先は1番線と聞いて飛び乗ったのが犬山行。どうも枝分かれで違う方面へ。名古屋まで帰って、また乗り換えて、どうにか目的地の甚目寺町の会館へ。
亡くなった丹波さんのお母さんは、明治43年生まれ。数えで100歳と紹介されていた。やさしく、厳しい人だったといいます。当方、高校卒業まで育ててくれた「おばちゃん」、同年代で、同じような気質、そんなことも想い起します。
帰りは、名古屋駅で3人が懇談。名古屋から広島行ののぞみに乗って、目が覚めた駅で、乗り越してはならぬ、という思いで飛び降りると、まだ新大阪。次ののぞみに乗り換えて、やっとの思いで岡山へ。 すこし疲れ気味かと、あとは自宅で寝るばかり。
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|09年06月2日 |中島 |
2日、前夜のアルコールが足りないのか夜中に目が覚める。この日も朝早く事務所へ。
前日、愛知の丹波全国人権連議長のお母さんが亡くなったという情報。3日はお葬式。鳥取集会を終えるのを待っていたような感じです。
この日は、地域と人権紙の記事、3本。ななくさ職員の健康保険扶養異動届に社会保険事務所へ、なかなかいっぺんですまないのです。地域人権みんなの会監事のFさんから、ETC機器が入ったという連絡。取り付けは来週に。四国へ釣りに行ける機会がふえるかも、と。
明日、3日は愛知の甚目寺町までお葬式に。
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|09年06月2日 |中島 |
6月1日。2泊3日の出張の疲れもそれほどなく、早寝早起きで、朝早くから目が覚める。この歳になると睡眠は大切です。
鳥取にNPO地域人権みんなの会を代表して参加してくれたMさん、国民救援会のNさん、県革新懇からのAさんなどが来館。鳥取でよく集まった、講演はどちらもよかったなどと。分科会は、「表現の自由」は理論的レベルが高くて専門的、という声も。全体として、よく勉強させてもらった、と共通した感想でした。
話は、来年岡山での集会に。日中友好協会のKさん、今回は参加できなかったけれど、残留孤児、中国語教室のとりくみなどが報告できる場が欲しい、という要望も。分科会会場もどこどこに、という話にも及びます。
こんなみなさんの思いを反映した、そして組織的にも前進につながる全国集会にしたいもの、という気持ちになります。
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|09年06月1日 |中島 |
5月の末、30.31日は鳥取で第5回地域人権問題全国研究集会。31日は、地元実行委員長の藤田安一・鳥取大学教授とともに第1分科会。会場は鳥取博物館内。
藤田先生の専攻は、地域政策学科。旧国立大学で地域学部があるのは鳥取だけとか。コミュニティ・ビジネスにしぼってパワーポイントで報告提案。簡単なことから仕事おこしはできる、という思いをもってもらうための具体例の説明でした。
当方は、ななくさ、のことも含めて、地域住民運動がいまこそ求められている、と提起。
ななくさ利用者の家族でもあるTさんと、智頭町にたちより、3時間あまりかけての帰路でした。
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