|25年02月17日 |中島 |

20
16日、日曜日。5時起床。朝風呂で身支度。小雨が残っているなか新事務所へ。
雑務。ななくさの住宅さん、来所。前日の朝日訴訟の会総会で学習した内容を少し伝えます。私たちも含めスタッフさんたちも、利用者さんの生活を豊かにしてもらうために介護や生活支援を行い、同時に、スタッフさんたちの間でもその視点での相互意見を交わせる立場、その立ち位置を大切にしていくことは、周りの人たちへに安心感を培っていくことにつながるのでは、と。そんな話し合いができる地域的な学習会も欲しいな、などと。
夕方はみんなの家だんだんの佐々木さん、来所。入院が決まってこちらの利用を中止する利用者さんのこと、新たに利用候補になっている方のこと、次年度からの労働条件通知書作成にかかわっての対応などについての話に。
翌日の、岡山自治体問題研究所主催の市民公開講座のことで少し準備です。火曜日の3つのみんなの家の管理者会議のレジメの準備も。帰ると8時前でした。
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|25年02月17日 |中島 |
15日、土曜日。5時前起床、朝風呂で身支度。木村のパン屋さんへ出かけてサンドイッチなどを購入。運動公園へ出向いて20分ほどの散歩です。この日はファジアーノのJ1初めての試合の日。スタジアムの前はたくさんテントが張られています。
新事務所に。雑務。みんなの家ななくさの住宅さん、来所。彼女が作成する、月曜に開くケアマネ会議用のレジメにかかわって各事業所の1月度の収入額を伝えます。
午後、旧・労金ビルへ。NPO朝日訴訟の会の第20回総会です。弁護士の則武透会長があいさつ。朝日訴訟裁判を闘った新井章(あらいあきら)先生が亡くなられたことを報告。全員で黙とうを捧げました。、岡山でノ人間裁判、いのちの砦裁判が昨年10月28日に勝利したことに触れながら、証人に立たれた志賀信夫先生を紹介。各地の裁判も高裁を経て最高裁の審議になるが判断過程統制論の専門家も居て勝てる希望も大きくなっている。新井先生が朝日訴訟の裁判で闘った財産がここで生きていて繋がっていることに感慨を覚えた、と話しました。
記念講演は志賀信夫先生(大分大学福祉健康科学部教授)が「貧困は自己責任か」「健康で文化的な最低限度の生活と権利」と題して90分の講演。そもそも貧困はこれ以上ほっとけない生活実態を言う。産業革命以降の貧困対策は、単純に暴れさせない程度の対策だったが、同時に優越思想も生まれた。市民革命も起った。しかし、この革命は白人でお金を持った男性を対象とするものでブルジョア革命とも言われている。その後の権利獲得のとりくみを通じても理解できるように、大切なことは、市民の運動が歴史を変えてきたことだと強調。貧困対策に所得保障という考え方もあるがそれだけではいけない。所得保障は口止め料になる危険性があり、「所得を保障する代わりに黙っておけ」という論理が裏にある。差別は社会の仕組であり、資本主義社会では人間は主人公ではない。資本主義社会では人間が分断され、生産の主人公にはなれない。そうした生産の在り方を変えることが差別解消につながる。私達の運動も社会から排除された人たちに対して、社会参加を促すような活動が求められている。抜本的な社会変革が求められている。資本家の言うことに従わなくてもよい仕組みが必要、住んでいく地域社会で自己決定の範囲を広げる必要がある。貧困でない生活を社会保障運動で勝ち取ることが、資本主義から脱却して自由度を拡張していくことにつながると強調されていました。
愛媛大学から鈴木教授と学生さんがお二人参加され発言されていました。午前中は長島愛生園に出向いてきたこと、そしてこの総会で朝日訴訟を学習し、この後人間裁判碑の見学に行くと話されていました。その初々しさに、参加者の皆さんも気持ちが洗われるようでした。大きな激励の拍手が続きました。
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|25年02月15日 |中島 |
14日、金曜日。6時間足らずの睡眠で4時半起床。朝風呂で身支度。連れ合いが置いてくれていたバレンタインデーのチョコを一粒食べてから新事務所へ。
雑務。みんなの家ななくさの住宅さん、来所。天衣無縫な感じの利用者さん、朝から自宅での排便で大変だったけれど厭わずに対応するスタッフさんたちの声、ななくさに通所してからはお風呂で清潔にして、足元を温めてあげるとぐっすり眠っている、などいいろいろと聞かせてもらいます。
この日は3つの事業所の給料日。みんなの家かるがものスタッフさんたちの分を担当して、かるがもへ運びます。かるがもに着いたら、玄関で立っている当方を見つけてくれた利用者さんがスタッフに、誰か来ているよと合図を送り、スタッフさんが出迎えてくれました。管理者さんを呼んでもらい給与を手渡しです。そのあと大事な話も立ち話でした。
回転寿司でお昼。そのあと整形外科で待機。痛み止めなどの飲み薬を処方してもらいます。待合室は満員。医師の診察を待つ人は混み合っていて相当の時間を待たなくては、大変な感じがします。体に痛みを持つ人はほんと大勢おられる、と実感です。
食料を買って新事務所に帰ります。母親に食料を届けます。こちらから注文を付けるといくらか反撃してきます。なだめるのも一仕事になります。
新事務所に戻り、また雑務。翌日のNPO朝日訴訟の会の総会にかかわって、かつて文書にしたもの、パソコンの中から探し出し目を通してみたり。
8時前に帰宅。この日チョコの代わりにいただいた日本酒、山田錦を少しいただきました。
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|25年02月14日 |中島 |

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13日、木曜日。目覚ましに起こされて5時起床。珍しく6.5時間ぐっすりの朝です。朝風呂で身支度、新事務所へ。
雑務。事務局の安田さんと打ち合わせ。自動車学校に行ってこの春に免許を取ろうとしている若者たちのこと、そして車の機能とお値段などの話しにもなります。
保佐していたMさんの施設利用料の支払い、岡山市への振り込みに金融機関へ。振込通知書には、細節名称という欄があり、老人福祉施設措置費負担金と印刷されています。
車を走らせながら、2日前の夜、我が家の固定電話にかかってきた電話のこと思い起します。高校の同窓会、10年ぶりにやります、これを最後だからぜひ、7月20日、日航ホテルですよ、と。かけてきてくれた人の高校生時代の面影も浮かばなく、3年時の組さえとっさには思い出されない、えー、と自分にあきれる感じになります。
5時過ぎに母親に、スーパーで買ってきた食料を届けます。
この日は夕方6時半からズーム会議。事務所で参加、9時前までかかりました。それから自宅に帰ってからの夕食、遅くなりました。
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|25年02月13日 |中島 |
12日、水曜日。4時過ぎ起床。朝風呂で身支度。新事務所へ。

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雑務。みんなの家ななくさの住宅さん、来所。利用者さん宅に出向いてきた朝早くの一仕事、その様子を伝えてくれます。利用者さん、自宅で一人暮らしです。服薬を一切しないで生きてこられたというその方、けた外れの生命力を感じます。
みんなの家だんだんの佐々木さん、一階から上がってきます。利用者さんの施設への移行にかかわって、本人の気持ちの動きなども聞かせてもらいます。2024年度の総括会議の日程も相談でした。
整形外科に出向こうと思いましたがうまく時間の都合がつかなくて延期。近くのコンビニで食料を買っておきます。
昼ご飯をハヤシライスで済ませて、市役所出張所の機能も持つ奉還町の国際交流センターへ。
民主会館へ。岡山市へ申請するための領収書などを中島青年に届けておきます。人権連の吉岡事務局長に、部落問題学習連続講座で話された丹羽徹さんのレジメを送ってほしいとお願いです。
新事務所に帰ります。3つのみんなの家スタッフさんの2月給与、勤務実績表と個人給付票を事務局の安田さんと照合です。
途中立ち寄ってくれた中島青年に、母親への食料を託けます。
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|25年02月12日 |中島 |

2
11日、火曜日。建国記念の日、の祝日。5時起床、朝風呂で身支度。
新事務所へ。みんなの家ななくさの住宅さん、来所。この日は、戦前は紀元節と言われていた祝日、たまたま当方の父親の誕生日。だから名前も昔は瑞穂の国と言っていた、瑞穂、と戦前らしい名になっていた、と話してみたり。国保連への請求にかかわっての話や、2月、3月の予想される収入額と利用者さん確保の話などに。
建国記念の日を考える2.11集会が多くの都府県では開催されているのに、岡山県はつい最近から開催しなくなってしまった、と少し考えます。この日紹介があった同志社大学教授の岡野八代さんの『個人の尊厳』にかかわっての雑誌に投稿された論文、じっくりと読んでみようと。
夕方、法人の会計実務について、とくに岡山市に申請している人権啓発事業の領収書等、コピーして報告の準備です。みんなの家だんだんのケアマネさんからは、利用者さん対応で苦心されていること、施設利用になると身元引受人が必要とされることが多くなってきた、以前はそこまでは言われなかったのに、という話も聞かせてもらいます。
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