亡くなってしまった。
|19年05月21日 |中島 |
20日、月曜日。早朝から目が覚めます。4時半過ぎに起床して、朝風呂。風呂から出るタイミングで、我がポン友、花田健吾さんの危篤、の知らせ。
急いで協立病院へ。救急の入り口から入れてもらい、ポン友の部屋へ。連れ合いの千春さん、息子さんの花田青年が・・・。医師と看護師さんお二人が来られてが6時11分に死亡確認です、と。まだ温かい手を握って、よく頑張ったよな、という思いを伝えます。病院からメールで、関係者に連絡です。
新事務所に帰ります。みんなの家ななくさの住宅さん、来所。この朝の様子を伝えます。
県人権連の吉岡事務局長、田中青年のふたりが、来所。健ちゃんの今朝の様子を伝え、この日の諸連絡、諸準備の下打ち合わせです。訃報を気が付く範囲、連絡です。
11時過ぎに花田邸へ。町内会関係の人たちも来てくれています。葬儀会社の黒い輸送車に乗った健ちゃんが帰ってきます。葬儀会社の方との打ち合わせに、ご家族とともに田中青年と一緒に参加です。
お通夜 5月21日(火)午後6時
お葬式 5月22日(水)正午から午後1時
どちらも、岡山市北区関西町7の集会所 喪主は花田千春さん
となりました。
我がとも、花田健吾さん。町内会長、人権連の支部と岡山市の責任者、そしてNPO法人地域人権みんなの会の理事など、闘病生活のなかでもいつも前を向いて務めてくれていました。
記事分類 NPO人権みんなの会記録 | コメント 0 »