古事記は、正史に入らず
|11年11月21日 |中島 |
20日、午前中は、きらめきプラザに。岡山県社会福祉士会の権利擁護センター「ぱぁとなあ岡山」の集いにはじめての参加です。成年後見制度の具体的活用にかかわる組織的なとりくみについて、参加されたすべての会員の方から意見が出されていました。
午後は、県立図書館で、政治学から古事記をひもとく、の第8回講座。小畑先生が講師です。前回講座のあとに、古事記を書いた人は魏志倭人伝を読んでいたのか、という質問があったことを受けて、日本の正史、中国の正史、儒教と神道、そして仏教との関連、宗教の政治的な取り入れ、などに話が及びます。蘇我馬子のように天皇を倒しても自らは君主にならなずにおさめていく手法、という日本独特な統治の仕方なども。
日本古代国家の成立、大宝律令などの制定時代は、仏教思想、そのなかでも反血縁を土台に権力構造を変えていったが、権力中枢は前時代からの血縁関係者がつづいていったという。
今日の政治状況について、、自民党の族議員体制、党税調の絶対的な権限、事務次官にしょうちょうされる官僚との合議制、なとを批判してきた民主党、一度は変えたが、今すべて復活させている。民主党で足らないところは、地域、の掌握。だから、民主党小沢幹事長時代、幹事長室が全国の要請受け合い窓口的な位置を示したがダメになった。いまは、大阪の維新の会のような地域政党との結びつきを模索している、とぶんせき、でした。
夕方、事務所で、小畑先生の講座と並行して行われていた、障害者の人権を考える会に参加されてきたKさんと懇談でした。
写真のポスト、投函口は閉められています。事務所から300メートルあたりの民家の隅にまだ残っていました。
記事分類 NPO人権みんなの会記録 | コメント 0 »